鍼をしている時のイメージ・ご質問への回答についての補足

身体観・生命観・自然観鍼灸師関係

もみじのプロペラ翼果はえんじ色。池の中には青空と雲と睡蓮。
撮影場所 盛岡市中央公民館庭園 2026年8月16日

恒例のセミナーが無事に終わり、このお盆休みはゆっくりと残務整理です。
昨日から、講座中にいただいたご質問が思い起こされ、補足したい思いが湧いて来ています。

ご質問は

「鍼をしている時に、何かのイメージを持っているのですか?」

というものでした。

私の回答は

「自分が今何をしようとしてるかという大きいものはあります。ただ、今こうして鍼をしている時は何も思っていないかもしれない」

というものでした。

この時は終了時間が迫っていたので、それだけになりました。
昨日からそれが思い起こされているのです。
質問者が分かっていて、その方から名刺などいただいている場合には、後からでも個別に対応できるのですが、質問者がどなたかわからない場合にはそれができないのです。
お伝えする術がないことと、個人のプライバシーには差し支えない件なので、以下に纏めます。

まず、鍼をしている時にーこの時は鍉鍼での補瀉だったのですが、その時に無心だったということは事実です。

「自分が今何をしようとしてるかという大きいもの」については、各所で講義の機会がある際にお話させていただいているところですが、

「症状の改善は勿論大切だが、それに終始せず『目前の患者さんに対して自分は何をするのか』と言う目的意識が重要。意念が肝要なのは、その方向に現実が動くからである」

という考えを私は持っております。ここがぶれると余計な意識が生じて、自身の安定を失うわけです。

ここでいう目的とは、短期的には、鍼一本を持って患者さんと向き合った時の「その場」では

「その人なりの現在の体力の中で、最も良い心身の状態を作る」

となります。これが主訴・愁訴を改善する上での基礎となるわけです。

長期的な目的としては

「天地自然の理にかなった鍼灸術を以て、天地自然の一員である人間が、その人なりの幸福な生涯を全うすることに資する」

対象がお子さんであれば「それぞれの子供時代を健やかに過ごせるように支える」

となります。これが私の鍼灸経絡治療の理念でもあるわけです。

これが、先ほどの質問に対して

「自分が今何をしようとしてるかという大きいものはあります。ただ、今こうして鍼をしている時は何も思っていないかもしれない」

と、私が申し上げた答えの「大きいもの」の背景です。

ここで、私が「意念」という言葉で表現した思いを、鍼をする際の一手一手に意識しているかというと、そうではないのです。

「切経をしていて、自分の手が、相手の虚を捉える。そこに鍉鍼を置く。そして留める」

という一連の動作の過程にあっては「そこを補おう」という強い思いを持っているわけではない。むしろ無心であるとも言えます。
しかし意識は、対象となっているその方の心身の全体を包んでいるわけです。
その状態で手が触れたその場に、自然に鍼が置かれて、必要なことがなされる。

「触れている自分の手が、対象の状態を感じ取り、自律的に対応している」

言語化するとそのようになります。

ですので、ご質問があった際に「何も考えてないのかもしれません」とお答えしたのは、今にして思えば、そのような感覚を、とっさに表現したものであったのだと思います。

「風のように鍼をするのが理想的です」という話をたびたびさせていただいています。それが印象的だったというご感想を、先週も、かつて受講していただいた鍼灸師の方から伺ったところです。

例えば

ひどく蒸し暑い日に、爽やかな風が吹いて来たと仮定します。

「ああ~いい風~」という感覚がおこります。

今時に、そのような風が吹くことを

涼風至

といいます。

これは、風がその人を癒しているわけです。風すらその人を癒やす。
そして大事なことは、

熱の籠もったその体に、涼やかな風を与え、余計なことはせずに必要なだけのことを的確にして、状態を改善させている。

ということです。これが、私の言う
「低侵襲鍼灸」
の定義「天地自然の一員である人間が許容する範囲内にて行う、天地自然の理にかなった鍼灸術」

の背景にある風景です。

初診の患者さんには
「私の方に意識をもたないでください。その辺に穏やかな風が吹いていると思ってゆっくりしてください」
とお話しますが、それはこちらの意向が一瞬で伝わる一文だと思っています。

臨床鍼灸師の立場であれば、思いをあえて言語化する必要はありませんが、講義をさせていただくような立場を与えていただいて、鍼灸という行(業)を長年させていただいてきた、その
「経験を踏まえて思っていること」を、皆様の前で自分の言葉として語ることができないのであれば、自分の外には伝わらないわけで、伝わらなければ、現実の社会では、私の思いは「無い」ことと同じになってしまいます。言語化は難題ですが必須です。

勿論、鍼灸の世界では、言語化できないもの、感覚でしか伝わらないもの、感覚を通しても、送り手と受け手の双方の条件によって伝わらないものも、多くあることは事実で、それもまた魅力的な世界です。

ここ2年くらいの間に、AIが身近なものになりました。確かに便利です。
でもこれに頼ってしまうと「自分の言葉」はいつの間にか消えてしまいます。
「いやこれはちがうよね。私の言葉ではない」
という違和感が持てるうちはまだ良いのかもしれません。

今・大人の皆さんは、そういう違和感が持てる。でもAIが当たり前にある環境で育つ子供たちは、自分の言葉が持てるようになるのだろうか・・・・
ということを危惧する昨今です。

言葉は大切ですね。ご質問をいただくことで、新たな気付きが生まれます。
人との交流がなければ思いつかなかった言葉にも出会えます。生きていればこそのワクワクです。
あと何年くらい活動ができるのか、老境ははっきり見えるところまでは来ておりますが、まだしばらくは体調管理に勤しみつつ、先に進んでゆきたいと思っています。
関係の皆様・また会う日までお元気で!

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